暗い花畑で絵梨衣は途方に暮れてしまった。 今まで目の前にいた白鳥が、いきなり姿を消したのである。 (どうしよう……) 今まで白鳥はどんなに離れても、絵梨衣が戸惑う様子を見せると近付いてくれた。
だが、今回はまるっきり姿が見えないのである。 彼女はマントの下から何度も周囲を見渡した。 銀髪の神から姿を見せては行けないと言われていたが、マントを頭から被っていては視野がかなり狭められてしまう。
彼女が頭の布を取ろうとした時、目の前に白い翼の鳥が現れた。 「!」 いきなり目の前に現れたので彼女は驚いてしまったが、 すぐに安堵する。
「何処に行っていたの?」 返事があるとは思っていないが、思わず話しかけてしまう。 鳥は絵梨衣の顔をしばらく見た後、再び飛び立った。 絵梨衣は鳥の後を追う。
だがこの時彼女は、目の前の鳥が先程まで自分が追いかけていた白鳥とは違う様な気がした。 恋人の神聖衣が変身した白鳥は、その身体に力強い光があった。
しかし、今の鳥は何処か柔らかな光をまとっていた。
威圧的だった闇の世界が、その姿を変える。 (空気が変わった……) 緊張感で張りつめていた意識が、優しい空気を感じて少しだけ緩まる。
(ここは何処だ? いや、ここは現実世界なのか?) アイオロスは自分の足元を見る。 膝から下は岩の足枷が大地と密着しており、彼は立ち上がる事が出来ない。
岩に触ると何か文字が彫られている様な感触がある。 (封印をされてしまったな……) 自らの小宇宙を燃やして技を磨いてきた聖闘士は、本来呪術的な事は行えない。
なぜならそう言う事は女神アテナ以外の神の力を必要とするからである。 アテナは武勲や生産的な技術の発展を司り守護するが、呪術はどうしても彼女から遠い位置にある技だった。
(彼は母親である女神ネメシスが味方をすれば、呪術的な事に対して造詣も深くなる……) アイオロスの脳裏に、闇に浮かび上がる白い翼の光景が蘇った。
そして幼い時のケイローンとの邂逅。 あれから彼は神々の闇の部分に関わりつづけていた。 全てを知らされ、力を授けられ、過ぎた期待をかけられた。
だが、予言の力など人が使って良いものではない。 それがアイオロスの持論だった。 先の事を知るあまり、今度は人の力を信じられなくなる事の方が辛かったからである。
(あの時予言の力を使ったばかりに、誰もが苦しまねばならなかった……) 何故、あの時サガの中にある正義を信じられなかったのだろうか? (あの黄金の短剣は、アテナから外れていた……)
それがポリュデウケースの心がそうさせたかのか、サガの心がそうさせたのかは、もう判らない。自分がアテナを彼から引き離した時に、簒奪者と守護者という立場が出来上がった。
彼は守護者の登場によりその闇をさらに深めただろう。 (ケイローン……。) ディオスクーロイたちの師であり賢者の誉れ高かったケンタウロス。
だが賢者もまた、自らの暗黒面に生涯苦しまなければならなかった。 アイオロスが瞼を閉じた時、近くで鳥の羽音が聞こえてきた。 |