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伏甲 3

穏やかな闇の中で白鳥座の神聖衣は、本物の白鳥へと姿を変える。
絵梨衣は自分が夜の花畑にいることに気がついた。
(ここは何処かしら?)
また異世界に迷い込んだのだろうということは、何となく判った。

『またお前か……』
聞き覚えのある声に、絵梨衣は声のする方を見た。
そこに居たのは銀色の髪の青年。
「……」
一瞬しか会った事の無い神なので、彼女は名前が思い出せずに沈黙してしまう。
『まぁいい。 一つだけ言っておくが、絶対に顔と名前は知られない様にしろ。
闇に潜むものに目を付けられると、ロクでもない事になる』
彼はそう言って、絵梨衣が肩にかけているマントを頭からかぶせる。 視野が狭くなるので、絵梨衣は少しだけ布を持ち上げた。
タナトスと目が合う。
『早く行かねば鳥は逃げるぞ』
慌てて絵梨衣は白鳥の方を見る。 白い輝きを放つモノは、かなり遠くまで移動していた。
「ありがとうございます」
絵梨衣は礼をすると、急いで光の元へ走りだした。


『随分、親切になったな』
金色の髪の青年の登場に、タナトスは不機嫌な表情になる。
『親切をしたつもりはない。 ただ、天上界の奴らに嫌がらせをしたかっただけだ』
双子の兄弟の台詞にヒュプノスは笑みを浮かべる。
『そう言うのなら、それでもいい。 どうせ天上界の奴らは、あの娘には手は出せん。
今は母上の加護があるからな。
例えネメシスの依代だったスパルタの王妃レダを思い出して、忌ま忌ましく思えてもだ』
彼らの間に一瞬の沈黙が流れる。
『……ネメシスの様子はどうだ?』
タナトスは尋ねる。表情を見られたくないのか、彼は顔を背けている。
『まだ眠っている。
だが、以前の様に辛い表情で眠ってはいない。とても穏やかだ。
きっと良い夢を見ているのだろう』
『……それならいい。 むしろ今起きられると、ポリュデウケースの事で面倒だ』
その言葉にヒュプノスは絵梨衣の走り去った方を見る。
『母親であるネメシスが悪夢から離れたというのに、息子の方は依然悪夢から逃れようとしない。
多分、ポリュデウケースは自分自身を裁いているのだろう』
ヒュプノスは空を見上げる。
いつしか何も無かった世界の上空に、星が輝いていた。