シオンとカノンがムウと共に慌てて聖域に戻った後、五老峰にいる紫龍たちは静かな時間の中にいた。 朝方は晴れていたのだが、昼頃から暗雲が立ち込めて雨が降り出す。
そして春麗とオルフェは一人の女性の話を、お互いに話しはじめた。 オルフェは恋人のユリティースの事。春麗は優しい精霊のエウリュディケーの事。
「エウリュディケーさんは、外国の子守歌を歌ってくれました」 半分泣きながら春麗は話す。 「すごく優しい声で、メロディはほとんど覚えていないけど……」
それでもハミングしてみると、オルフェがすぐにメロディを奏でた。 「ユリティースが幼い頃に聞いたと言っていた子守歌だ」 そして今度はオルフェが恋人の事を話す。
何処で出会い、どんな女性だったか。 ただし、オルフェは冥界の事だけは話さない。 愚かな恋人が彼女を苦しめ続けたなどと、彼自身も口には出来なかったのである。
(僕が彼女を手放せなかった為に、ユリティースは苦しみ続けなければならなかった……) 誰よりも幸せになって欲しかった恋人。 なのに自分は彼女を苦しめてしまった。
オルフェが沈黙してしまった為、部屋に静寂が訪れる。 「……オルフェさん、一つ聞いて良い?」 隣にいた貴鬼が、少し不安げに尋ねる。 「聖闘士って、好きな人がいたらいけないの?」
紫龍は咄嗟に春麗を見る。 彼女もまた紫龍の方を向いた。 そしてオルフェは少し寂しそうな表情をする。 「……どんな掟も理解する側の問題だ。
僕にとってはユリティースが全てだった。 今でもその気持ちは変わらない。 もし、女神アテナや他の聖闘士たちが僕を諫めるのなら、僕は自分の行動でユリティースの事をみんなに認めてもらう。
それでも罪だと言われたら、赦しが得られるまで僕はどんな罰も甘んじて受けるつもりだった……」 オルフェは俯く。その語尾は少しだけ震えていた。
「貴鬼君。 掟だからといって自分の気持ちを偽り続けたら、いつか本当の気持ちを見失う。 そして心を無くした聖闘士に正義が判るとは思えない」 紫龍は膝の上に置いた両手を力一杯握る。
オルフェは紫龍の表情に気がついていたが、そのまま言葉を続ける。 「それに誰かと一緒に居ろと強制するわけじゃないけど、自分が聖闘士だから相手を置いていってしまうというのは間違いだ。
僕は置いていかれたからね。 掟だから聖闘士だからと言い続けていくうちに、そんな事になって後悔したって遅すぎる。 掟に殉じるのなら、その判断を後悔しないくらいの覚悟が必要だ」
紫龍は俯いたままだった。 自分にはどれほどの覚悟があったのか。 春麗の身がいつも安全だと思い込んでいた。 この五老峰に帰れば、彼女はいつも居ると信じて疑わなかった。
しかし、それは全て自分の都合のいい話。あまりにも自分は恵まれ過ぎていたのだ。 (春麗がここに居なかったら、俺はどうなっていたんだ?) すぐに答えは出た。
多分、正気ではいられない。 |