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黒の聖域 1

「しかし、こんな現象は記憶にないなぁ」
冥界の嘆きの壁の前では、アイアコスが楽しそうだった。
「貴方はいつでも、楽しそうですね」
ミーノスの方では、目の前に出現している異様な光景に眉を顰めている。
彼は聖戦の時に、エリュシオンへの道に拒絶されて消滅してしまった過去を持つからである。
二人の背後には何名かの冥闘士たちが控えていたが、やはり少しばかり動揺していた。
それは伸縮を繰り返す、濁った色の穴。 エリュシオンへの道ではない事はミーノスの確認で判っているが、それでは何なのかという問題になると誰にも判らない。
「これと同じ穴が花畑にも発生しているという事は、やはり女神ヘカテがらみだろう。
あそこにユリティースは囚われていたのだからな」
アイアコスはあっさりと結論付ける。 ミーノスは溜息をついた。
「もしそれが本当なら、完全にしっぺ返しを喰らいましたね」
ただ、二人ともユリティースがそういう事を行う女性だとは思っていない。冥界に囚われていた時も、恋人の身を案じている女性という話しか出てこない。
多分、審判役の時も変わらなかったであろう。
自分たちの女主人は、根っからの策士ではない。
それ故に自分たちを騙す事はしないし、そういう気配はこちらの方で先に察する事の方が多い。
たまにラダマンティスに音楽を聞かせるというわけの判らない事もやるが……。
「我々は神々の事情に疎すぎたという事でしょう。
ハーデス様がいない冥界が、どの神の支配下に置かれるのか。その時、他の神々はどのような行動に出るのか。
相手は我々以上の長い年月で物事を考えます。
今までは何も無いからといって、これからも無いと考えるのは甘いのかもしれません」
「……やはりエリスから情報を引き出さなきゃ駄目か」
デスクィーン島の騒ぎを思い出すと、自分たちは良いように利用されたのだろう。
だが、あの女神に対して怒る気にはなれない。冥王の下についていたタナトスとヒュプノスの妹神だと言われても、どちらかというと双子の神たちの方がもっと遠い存在のように思える。
とにかくあの女神は自分たちに姿を見せ、意見を言い、そして自分たちの存在を手駒ではなく神の闘士として扱っているのである。扱き使ってはいるが。
「……不思議ですね。 争いの女神を我々は信頼しようとしているなんて……」
その時、一人の冥闘士が慌てた様子でやって来た。