その者は、柔らかな花の香りに気がついた。
だが残念な事に、その香りには自らの流す血の臭いが混じっていた。
(こちらに情報を一言も漏らさないとは、さすがだな)
アフロディーテは侵入者に近付く。
その者は既に荒れた大地の上で事切れていた。
実力から言えば黄金聖闘士の敵ではない。
ただ、相手の正体を探ることが出来なかったのは少々悔やまれた。
そんな事を考えているうち、彼はなんだか自分の行動が滑稽に思えてくる。
(よもや私が女神エリスの依代を守ることになろうとは……)
トロイアを滅ぼす原因を作った女神に関わるものを守るなど思いもしなかった。
(カミュも嫌な事を頼んでくれたものだ)
向こうは自分について、何か勘づいているのかもしれない。
疑えばきりはないが、こちらから問うて藪蛇になるのもつまらない。
そこへ同じ黄金聖闘士である同胞が現れる。
「早く戻らないと、疑われるぞ」
失礼極まりない事をいう人物は、蟹座のデスマスクだった。
「失敬な事を言うな。勝負は既に付いている」
実力を疑われたと思い、魚座の黄金聖闘士は険しい表情になる。
しかし相手はお構いなしに聖域の方を向いた。
「それなら早く聖域に戻れ。
ここでお前に過去の亡霊として消えられると、こっちが面倒を抱える羽目になる」
「……」
「それに、このままだとアンドロメダが良いとこ取りだ」
彼の見当違いの心配に、アフロディーテは何の関係があるのかと怒鳴りそうになった。
しかし、それはあまりにも大人げないので、理性で手に持っている白バラを投げるのだけは止める。
そのバラが朝の光で美しく輝く。
朝日が昇り始めたのである。
「夜明けか……」
アフロディーテは思わず呟く。
「この光は少々眩しすぎる」
するとデスマスクは薄く笑った。
「直視したら潰れるぞ」
彼は哀れなる罪人に目をくれることなく聖域へと戻る。
「……そうだな」
アフロディーテもまた己の守るべき場所に向かって歩き出したのだった。
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