暖かな手。 優しい声で眠るように言われて、絵梨衣は瞼を閉じた。 『もう私から離れないでね』 その声に彼女は、朧気にしか覚えていない母親が傍にいるのだと思った。 しかし、何か違和感を感じた。 「お願い。目を開けて!」 突然脳裏に響いた声に、絵梨衣は自分を暗闇から助け出してくれたナターシャの顔を思い出した。 慌てて目を開けて周囲を見渡す。 (早く……ここから出ないと……) 彼女は部屋の扉を開けた。 しかし、少しの隙間を作るのに彼女は全体重を掛けねばならなかった。 淡い光が建物の壁を照らす。 絵梨衣は壁で体を支えながら、廊下を歩いた。 (どうしよう……。早く闘士の人に知らせないと……) しかし、自分の体力は歩く度に奪われていくような感じがする。 『私から離れては駄目』 頭の中に直接響く声。 絵梨衣は顔をしかめた。 『ネメシスはレダを抑えきれなくなっている』 人間である自分に協力を求めた女神エリス。 その言葉が脳裏に蘇る。 『このままでは聖域を攻撃するだろう。 あれにとって聖闘士は娘の仇でしかない』 だが、自分をクリュタイムネストラーと呼び、手元に置いておこうとする彼女から絵梨衣は逃げ出した。 何か異様な気がしたからである。 それなのに何処までも王妃レダの声が聞こえてくる。 「氷河さん……」 女神の力を得た人間に、自分は対抗出来るのだろうか。 今にも暗い空間から王妃が現れそうで、絵梨衣の胸の内に絶望の影が現れ始めていた。 |
(やはり正攻法を取るべきではなかったかもしれないな……) 真っ暗な空間の中で、彼は自分の行動を思い返した。 しかし、事態が限界を迎えていたのも事実であった。 あとは全てを華々しく無に帰すか、静かに眠らせるしかない。 ただし、後者は災いの目覚めを未来に引き継ぐことになる。 (あれからどれくらい経ったのだろうか) 異界と地上では時間の流れが違うことも多々ある。 もしかすると、自分が閉じこめられている間に、百年くらい経過しているのかもしれない。 「アイオリア……」 弟の名を口にしたとき、アイオロスを閉じこめていた空間の天井に光が走った。 そしてその部分は細かい砂となって、アイオロスの足下に降り積もる。 「誰か居るか!」 いきなり開いた穴から自分の弟が顔を出した時、アイオロスは暖かな光を見たような気がした。 |