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夜行 3

暖かな手。
優しい声で眠るように言われて、絵梨衣は瞼を閉じた。
『もう私から離れないでね』
その声に彼女は、朧気にしか覚えていない母親が傍にいるのだと思った。
しかし、何か違和感を感じた。

「お願い。目を開けて!」

突然脳裏に響いた声に、絵梨衣は自分を暗闇から助け出してくれたナターシャの顔を思い出した。
慌てて目を開けて周囲を見渡す。
(早く……ここから出ないと……)
彼女は部屋の扉を開けた。
しかし、少しの隙間を作るのに彼女は全体重を掛けねばならなかった。

淡い光が建物の壁を照らす。 絵梨衣は壁で体を支えながら、廊下を歩いた。
(どうしよう……。早く闘士の人に知らせないと……)
しかし、自分の体力は歩く度に奪われていくような感じがする。
『私から離れては駄目』
頭の中に直接響く声。
絵梨衣は顔をしかめた。

『ネメシスはレダを抑えきれなくなっている』

人間である自分に協力を求めた女神エリス。
その言葉が脳裏に蘇る。
『このままでは聖域を攻撃するだろう。
あれにとって聖闘士は娘の仇でしかない』

だが、自分をクリュタイムネストラーと呼び、手元に置いておこうとする彼女から絵梨衣は逃げ出した。
何か異様な気がしたからである。
それなのに何処までも王妃レダの声が聞こえてくる。
「氷河さん……」
女神の力を得た人間に、自分は対抗出来るのだろうか。
今にも暗い空間から王妃が現れそうで、絵梨衣の胸の内に絶望の影が現れ始めていた。

(やはり正攻法を取るべきではなかったかもしれないな……)
真っ暗な空間の中で、彼は自分の行動を思い返した。
しかし、事態が限界を迎えていたのも事実であった。
あとは全てを華々しく無に帰すか、静かに眠らせるしかない。
ただし、後者は災いの目覚めを未来に引き継ぐことになる。
(あれからどれくらい経ったのだろうか)
異界と地上では時間の流れが違うことも多々ある。
もしかすると、自分が閉じこめられている間に、百年くらい経過しているのかもしれない。
「アイオリア……」
弟の名を口にしたとき、アイオロスを閉じこめていた空間の天井に光が走った。
そしてその部分は細かい砂となって、アイオロスの足下に降り積もる。

「誰か居るか!」

いきなり開いた穴から自分の弟が顔を出した時、アイオロスは暖かな光を見たような気がした。