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そのままの君でいて〜春麗18歳〜 その8

「紫龍、気分でも悪いの?」
目の前に不安げな眼差しで自分の顔を覗き込む、綺麗な顔。
彼は呼吸が止まりそうになった。
「何だか思い詰めた表情だったけど……」
「……大丈夫だ」
彼女に見つめられると、ドキドキするのと同時に、彼女に触れてみたいという衝動に駆られる。
そんな弟子の行動に師匠は何やら思案し始めた。
「紫龍は戸惑っておるようじゃな」
「多分、今の春麗の姿は紫龍には刺激が強すぎるのでしょう」
ムウは紫龍に近付くと、いきなり髪を引っ張った。
「!」
幼稚な行動ではあるが、こうでもしないと話しかけても聞こえやしないとムウは判断したのである。
さすがに直接行動ゆえに、紫龍は首を押さえながらも振り返る。
「紫龍。少し頼みたい事があるので、ジャミールまできて下さい」
それは非常に穏やかな口調だった。
「えぇっ!」
何の脈絡もない言葉に、紫龍は思いっきり驚く。
すると彼はいきなり紫龍の襟首を掴み、引きずりながら部屋を出た。
これには他の三人も呆然。
「何だかよく判らないけど、オイラ帰るね」
貴鬼は慌ててムウの後を追いかけた。
(……時間と距離は必要じゃな)
童虎はムウの行動の意味を良い方へ理解した。
戦場では冷静な弟子も、最愛の少女の前では脆弱さが表に出易い。
弱さを闇雲に否定する事は簡単だが、それでは自分の心を潰す方法を彼は覚えてしまう。
だが、そんな事を繰り返せば最後に心は空っぽになってしまう。
どうする事も出来ない時間と距離という壁の中で、彼には自分の心を見つめて欲しい。
童虎はそう考えて、愛娘の方を見る。
「紫龍ならムウの頼みごとを成し遂げて、元気に帰ってくる。 ワシらはそれを信じて待とう」
すると春麗もほっとしたように微笑んだ。
「そうですね。 それに紫龍がムウ様から、あんなにも信頼されているなんて、凄く嬉しいです」
彼女は我が事の様に喜んでいるので、童虎はそんな彼女を見て満足げに頷く。
(さて、年頃の娘を持った父親は悪い虫を追い払うのが役目じゃったな)
彼は他の黄金聖闘士が聞いたら異論反論をギャンギャンと言いそうな事を呟いた後、再び考え込んだ。

★★★
そしていつの間にか紫龍は問答無用で、ジャミールにあるムウの家へ連れて行かれた。
「貴鬼。私はこれから紫龍を連れて出掛けます。2・3日したら戻ります」
師匠の言葉に貴鬼は元気に返事をする。 留守番なら適当に五老峰へ遊びに行っても良いからである。
その様子に満足げに頷くと、彼は紫龍の方を向く。
当の龍星座の聖闘士は事態が認識できずに、呆然としていた。
「紫龍」
「はい……」
返事の仕方も条件反射に近い感じだった。
「貴方はどうも修復者の苦労と言うものを理解していない様なので、修復用の材料を採取するのを手伝ってもらいますよ」
「えっ!」
そして紫龍は再び襟首を掴まれると、外へと引きずり出された。
「紫龍ー。 春麗の事はオイラに任せてねー」
牡羊座の聖闘士の弟子の不穏な言葉に、紫龍は自分がとんでもない場所に連れて行かれる事を察した。
だが次の瞬間には、彼はムウのテレポートによって、そのとんでもない場所に放り込まれたのだった。