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蘭燭

隣町と言っても山を再び越えれば済む話なので、瞬は苦もなく用意されたホテルへ着いた。
荷物は何もないが、フロントの従業員は怪しむ事無く瞬を部屋へ案内する。
そしてその部屋は一人で泊まるには、無駄に広かった。多分、星矢と一緒に泊まる予定の部屋だったのだろう。
しかし、当の星矢は魔鈴に引っ張られて、どこかへ連れて行かれた。
「まぁ、良いか……」
とにかく彼は疲れていた。 シャワーを浴びて身を奇麗にすると、直ぐにベットにもぐり込む。
(明日になればジュネさんに逢える筈。 もし擦れ違いになったらアンドロメダ島に行こう)
先程のほんの少しの会話では、この飢餓感は満たされない。
むしろ、その気持ちはますます強くなっていった。
(眠れるかな……)
闘志をみなぎらせたジュネの顔は、まるで炎のような美しさがあった。 あの顔が自分の知っている彼女。
「あっ……」
この時、瞬はようやくある事に気がついた。
雑誌に掲載されたジュネを見た時の違和感。
(僕が判らなかったんじゃない。みんなが本当のジュネさんを知らないだけなんだ)
そう考えると今度は彼女を独占できたような気がして、瞬は直ぐに眠りについた。

そして彼は電話の音で起こされる。 朝は朝だが、時刻は午前6時。
受話器を取ると何やら騒がしい。
『瞬!』
懐かしい人の声に彼は飛び起きる。
「ジュネさん!」
瞬が直ぐさまフロントへやって来たのは、言うまでもない。

「いきなりびっくりしたよ……」
二人はフロントで教えてもらった、観光用に整備された林道を散歩する。
いくら時間があるからといって、彼女を部屋に連れていってはフロントに不審がられるし、何よりも自分が暴走しかねない。
しかし、ロビーで会話するのも憚られる。 ジュネが噂のモデルだと他の人に知られるのは、やはり避けたい。
例え彼女が男っぽい服を着ていたとしても……。
森の空気はやや冷たく、そして小鳥の囀りが時々聞こえるだけで、周囲は静かだった。
「誰から僕の事を聞いたの?」
「今朝、シャイナさんが聖域に戻る前に封筒を届けてくれたんだ。
多分、最初からその手筈だったんだろうね。瞬の居場所を知ったら、居ても立ってもいられなかった。
今日の昼の便で帰るから、その前に瞬に会っておきたかったんだ」
彼女の言葉に瞬は歩みを止める。
「昼だって!」
そして、あまりの急な話に驚く。
「噂のモデルがいつまでも日本に居ちゃいけない」
ジュネは寂しそうに笑う。 そんな彼女を見て、瞬の心は痛んだ。
以前、紫龍と氷河に指摘された独占欲が、ゆっくりと自分の中に広がる。
「ジュネさん、今でも僕の事好き?」
彼は思い切って尋ねてみる。振られるかどうかの瀬戸際。
ジュネは驚いたように瞬の顔を見た。 二人の間を沈黙が流れる。
瞬は早く答えて欲しいと思ったが、ジュネは答える代わりに彼の頬を平手で叩いた。
殴らなかっただけ、彼女の中には理性が残っていたのかもしれない。
「ジュネさん……」
「瞬のバカ!何で今更そんな事を言うの!」
彼女の目から涙が溢れ出る。 瞬は小さくゴメンと謝った。
やはり全て遅かったのか。
だが、彼女はその後、瞬に抱きついたのである。
「あたしは……瞬があたしの事を何とも思っていない時から、ずっと好きだった。 あの時だって仮面を外したのは、あたしの精一杯の告白だった。
けど瞬はダイダロス先生の仇を討つって、聖域へ行く事を選んだ。
それでもあたしは瞬を諦める事も嫌いにもなれなかった」
瞬は抱きついているジュネの背に両手を回す。 ジュネは一瞬、驚いたようだが逃げようとはしない。
「瞬が生きていてくれれば、それだけで良い。 それ以上は望まないって決めたのに!」
「ジュネさん……」
「今頃聞かないでよ! 期待しちゃうじゃない。
瞬が私の方を見てくれるんじゃないかって……」
ジュネはそう言って瞬から離れようとしたが、今度は瞬が彼女を離さない。
「……瞬?」
彼女は年下の少年の顔を見る。
「ジュネさん。僕ね、この一ヶ月すごく辛かった。
ジュネさんを知らない男に取られるんじゃないかって」
すると彼女はちょっと不満げに口を尖らせる。
「何で他の人に惹かれるなんて思うの。 その程度の覚悟で、仮面を自分から取ったりはしない」
それを聞いて瞬は笑う。
「だって僕の気持ちはジュネさんに伝わっていない」
そして耳元で囁く。
「ジュネさんの傍にいる男たちに、ずっと嫉妬していた。 こんな風に独り占めしたかった」
彼女の頬に唇を寄せる。 ジュネはさらに瞬をきつく抱きしめた。
「あたしの心はもう、ずっと前から瞬に独占されているよ……」
涙の跡を見せながら微笑む彼女。
その笑みは雑誌で見た写真の何倍も魅力的だった。
瞬は、もう自分の中の気持ちを押さえられない。