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小さな奇跡 |
聖域の十二宮には、それぞれそこを守護する黄金聖闘士がいるのだが、
その中でも要とも呼ばれる天秤宮の守護者は常に不在だった。 「老師に逃げられた!」 聖戦終了後、色々な事情の後に復活を果たした黄金聖闘士たち。 その中でも教皇代理として双子座のサガと射手座のアイオロスは、書類と格闘の日々を過ごしていた。 先程もサガが外出から戻ってきたばかりなのだが、成果は思わしくなかったようで、不機嫌な顔をしながら執務室へ入ってきたのだった。 「五老峰に居ないのか?」 アイオロスは読んでいた本を机の上に置くと、大きく背伸びをする。 「旅行中だそうだ。 老師にお聞きしないと片付かない書類が、こんなにもあるというのに!」 サガは厚さが40センチもあろうかという変色している書類の束を叩いた。 「年代物だな。 本当に必要なのか?」 「勝手に処分出来るなら、とっくにやっている! 燃やして証拠隠滅は最後の手段だ。 こうなったら意地でも老師に書類を押しつけて見せる!!」 既に目的と手段の重要度が入れ代わっているサガのセリフだが、アイオロスはツッコミを入れるのは止めた。 「しかし、どうやって肝心の老師を捕まえるんだ」 相手は海千山千の黄金聖闘士である。 「老師には養女がいたな……」 サガのキレた微笑みに、アイオロスは驚く。 「まさか人質にとるのか。それは止めろ!」 「……アイオロス、お前に信用されていない事を、こんな事で知らされるとは思っても見なかったぞ。 誰がそんな、非人道的な事をするか!」 「あっ、すまない。 そんなつもりではないのだが、老師に対して最も効果的なのは弟子よりも彼女だからな」 アイオロスも結構、怖い事をさらりという男だった。 サガは親友の顔を、まじまじと見る。 (教皇はこいつの怖い部分を、ご存じなのか?) 当の教皇は二人の代理がいれば良いとばかりに、やはり旅行届けを出して不在だった。 「とにかく、その養女の春麗嬢がもうすぐ誕生日なんだ。 その日には絶対に老師は五老峰へ帰って来る。 そこを捕まえる!」 既に、逃亡者扱い。 「そこでアイオロス。 今度はお前が行け」 サガの言葉に彼は自分で自分の事を指さした。 「俺が行くのか?」 「俺はさっき行った。何度も同じ人間が行くと、相手に気取られる。 春麗嬢の誕生日にプレゼントを持って行くんだ。 絶対に老師を持って帰って来い」 言葉づかいが少々変だが、サガの異様な迫力にアイオロスは頷くしかなかった。 |
そして当日、アイオロスは手ぶらで五老峰へと向かった。
色々と考えていくうちに、プレゼントを持って伺う方が相手に怪しまれると思ったからである。 案の定、五老峰へ着くと、若い姿に戻った老師が家から出る所だった。 「おぉ、アイオロスではないか。どうしたんじゃ」 老師は満面の笑みで彼を出迎えた。 アイオロスの心は少々痛む。 「老師、お久しぶりです。 老師が不在と聞き、紫龍たちの様子を見に来たのです。 また、ご旅行に行かれるのですか?」 思いっきりしらばっくれる。 「今しがた戻ってきたばかりじゃ。 この日だけは絶対に不在はせん」 「そうなんですか?」 「……そうじゃ、アイオロスも一緒に春麗の誕生日を祝ってはくれんか? 毎年三人だが、お主がいてくれればいつもと違って、より楽しかろう」 その言葉の裏にある意味をくみ取って、アイオロスは快く承諾した。 「喜んでお祝いの席にいさせていただきます」 「何、そんなに畏まらなくても良い。 春麗と紫龍は麓の村まで、買い物に行っておる」 そう言って彼はアイオロスを大滝の方まで連れて行った。 「食事の用意は、あの二人がする。 ワシ等は大滝で待とう」 いつも修行やら戦闘やら日本に呼ばれるやらで、紫龍は家に居ないことが多い。 だから今日は紫龍を春麗の荷物持ちとして、一日中一緒にいさせる事にしていると老師は笑いながら言った。 「そう言えば老師にお聞きしたいのですが、今まで紫龍以外に弟子は居なかったのですか?」 彼の質問に、老師は何か驚いたようにアイオロスの顔を見た。 「……まぁ、これも縁なんじゃろうなぁ」 老師は大滝の前に着くとその場に腰をおろした。アイオロスも隣に座る。 「今だから言えるが、本当は紫龍を弟子に取る気は無かったんじゃよ」 彼の告白に、アイオロスは驚いてしまった。 |
大滝の前に座して250年近く、聖域から何度か弟子候補が送られてきたが、彼は誰一人として育て上げることが出来なかった。
原因は色々あるが、基本的には天秤座の聖衣を継げるだけの力量が無かったということだろう。 そのうち、聖域からやはり主を持っていないという龍星座の聖衣を押しつけられてしまったりと、ほとんど聖域からは見捨てられ状態。 だが、人が集まれば確実に発生する権力争いから離れることが出来るので、彼はむしろその状態を喜んでいた。 |
「ところが縁というのは不思議なもので、14年前の春に春麗を森で拾ったんじゃよ」 何故、その日に限って大滝から離れてあまり行かない森の奥へ行ったのかも判らないが、 とにかく彼は幼い命と出会った。 直ぐに近くの村にでも養女に出すのが正しい判断であることは、承知していた。 ところがどういう訳だか、手放せなかった。 いつもは善良と思える村人たちが、春麗を託すに相応しいかと考えてしまったのである。 言いがかりである事を自覚した時、彼は自分が春麗を育てたいのだと気がつく。 そして聖闘士である自分がそう考えてしまったことに、苦笑してしまった。 「アテナが降臨されれば、再び闘いが始まるというのに……と考えたんじゃが、その時は既に、村人から子供のあやし方や離乳食の作り方を聞いていたりしていたんじゃよ」 実際、春麗を拾った日から約五ヶ月後に彼らの女神は聖域に降臨した。 「手放す気は全然無かったんですね」 「この子が嫁に行くまでは弟子は取らんでおこうとまで、思っておったよ」 老師は笑っていた。 (聖闘士としてそれで良いのかと、ツッコミがきそうな事を……) そしてアイオロスは頭が痛くなった。 「そうしていくうちに聖域ではあの騒ぎが起こり、牡羊座のムウがジャミールからワシのもとへやって来た。 ムウは幼い春麗を見て一瞬戸惑ったらしいが、ワシが嬉々として赤ん坊の世話をしているので、 何が楽しいのだろうかという顔をしながらもそれを手伝うようになったんじゃよ」 実際、ムウが春麗の専属ベビーシッターになるのには、三日とかからなかった……。 「あの、ムウがですか?」 確かに幼い弟子との仲は悪くはなさそうだが、ベビーシッターをやっているムウの姿は、想像がつかない。 「ワシよりも、ムウの方が上手いぞ」 老師は思い出したかのように笑った。 「とにかくムウは春麗のちょっとした泣き声や変化に敏感に対応するんじゃ。 あれの手助けがなければ、春麗をここまで大きくするのは難しかったかもしれないのぉ」 「……そうですか」 「だからこそ、それだけ大事に大事に育てた宝ゆえに、グラード財団から一人の少年を弟子にして欲しいと言われた時、断ろうと考えたんじゃよ」 後継者育成よりも娘を取ると言うのは、やはり褒められない考えには違いない。 「老師……。その事は紫龍は知っているのですか?」 「この事を話すのはこれが最初で最後のつもりじゃ」 一人の男の胸の内を告白されているのだと思い、アイオロスは黙った。 「とにかく、その少年と仲よくなれるかも判らなかったし、なにより乱暴な気質の持ち主だったら春麗が可哀相でなぁ。 聖域とは違うルートでの弟子の入門は、それなりのリスクも覚悟しなくてならん」 アイオロスの表情が少し暗くなる。 当時の聖域では反逆のレッテルを貼られれば、老師は自分に降り掛かる火の粉は払えるが、幼い春麗は無事では済むまい。 聖闘士である以上、幼い子が与えてくれる安らぎと優しさは手放すべきなのかもしれないが、彼にそれは言えなかった。 彼自身、弟の存在に救われているからだ。 「それがどうして、弟子を取ることに?」 「そんなワシの憂いを払拭してくれたのは、春麗だったんじゃよ」 |