目次

86. 距離感

聖域の一角には、歴代の聖闘士達を埋葬した墓地がある。
しかし現在のその場所は、無残に掘り起こされ墓標も破壊し尽くされていた。 原因は過日に起こった冥王が率いる冥闘士たちとの戦い。 死者を復活させることの出来る神が敵対しているのだ。墓地に眠る歴代の盟友が敵に回れば、聖闘士といえども苦戦を強いられる。その判断により墓地に火が放たれ、死者たちは総て火葬にされたのだ。
(無情だな……)
蠍座の黄金聖闘士ミロは、一人その光景を見る。 惨状ともいうべき状態では、誰が何処に眠っていたのかも分からない。
(……)
彼は諦めて天蠍宮に戻ろうとした。
そのとき一人の女性がやってくることに気づく。 彼女はその手に一輪の花を持っていた。

「シャイナか……」
蛇使い座の白銀聖闘士は仮面をしているので表情は分からない。 だが彼には、この少女が自分の存在を驚いていることは分かった。
「ミロも墓参りか?」
その問いにミロは
「そうだ」
と答える。 実際には目的の墓が何処にあるのかさっぱり分からないのだが。
「お前は?」
「ユリティースが花をくれたからね。カシオスにあげようと思ったんだ」
家に飾っても世話が出来ないからと、彼女は言葉を続ける。
「そうか。でも、場所は分かるのか」
墓地とはいえ、けっこうな広さがある。 彼が周囲を見回していると、その隙にシャイナの方は目的の場所に移動していたのだった。


彼女は土に埋もれた岩の前に花を置く。
もう、この岩の下には何も無い。聖戦のとき全ては灰になった。 このとき炎の中で愛弟子が復活するのではないかと一瞬だけ思った。だが、その復活の背後に冥王がいるのならば、自分は彼を消滅させなければならない。 それが出来るのかと問われると、やらなくてはならないとしか答えられないが、本当に出来るのかはシャイナ自身も分からなかった。
岩を見つめると、カシオスとの色々な思い出が蘇る。 今はまだ涙が零れそうになるから、一人で来たはずなのだが……。
「ここなのか?」
彼女の背後でミロが話しかける。
「何でついて来るんだ」
「別にいいだろ」
何を考えているのか分からない男だが上級聖闘士である。無下にしにくい。
彼はというと岩と花を交互に見ていた。

『彼女らに弟子を持たせるのは、何がなんでも聖域にいてもらう理由が必要だからだ』

ミロの脳裏に魚座の黄金聖闘士が言った言葉が蘇る。
当時、シャイナや魔鈴が弟子を持つというのは早すぎる気がした。 だから思わずアフロディーテに雑談のように意見を言った。あの二人に弟子が育てられるのかと。 そのときの返事がこれだった。
あの時期の女聖闘士は、かなり厳しい環境で生きていた。 何しろ教皇に成り代わっていたポリュデウケースは、女の聖闘士がいなくなっても良いと思っていたのだ。 それに便乗するかのように、男尊女卑の思想が聖域を支配している。
しかし地上に点在する女神たちの神殿の中には男子禁制の場所もあるので、そういう所には男の聖闘士を派遣して不興を買うことを繰り返せば聖域は敵だけを増やし続けることになるのだ。 ただ、当の聖闘士達が無自覚だったので、苦境に立たされても何が自分たちを苦しめているのか分からなかっただろう。そういう意味では、聖域はかなり危ない状況にいたのである。

『弟子たちの存在が彼女らを聖域につなぎ止める。一応、あと一人は別の場所に隔離させた』

女神たちの神殿を守護する最後の砦は当時の聖域からも引き離す必要があったということからして、自分たちはかなり歪んだ環境にいたということだろう。
あの頃のミロはというと、そこまで酷かったとは気がつかなかったが。

(本当に割り込めないくらいだ……)
墓標としての岩もシャイナがカシオスの為に置いたのだと想像がつく。
しかし、彼もまた己が諦めの良い人間ではないことは分かっていた。
「ところでミロ」
「何だ?」
「この間、デスクィーン島で二人ッきりだったとき、あんた変なことを言ったよね」
神話時代の黒い遺産を調査しているとき、ミロはシャイナに対してある失言をした。(露顕 4 参照
彼は覚えていたのかと苦笑いをする。
「そうか、俺の言葉を大事に覚えてくれているというのは脈ありと思っていいんだな」
不意打ちのような切り返しに、彼女は顔を赤くした。
「な、何を言っているんだ!」
「あとで俺のスケジュールを教えるから、天蠍宮に来てくれ」
「人の話を聞け!!」
しかし、爽やかな笑顔を向けた後、蠍座の黄金聖闘士は墓地からいなくなっていた。

「なんなんだ、あいつは」
シャイナは岩の方を再び見る。
(……カシオス。私はなんとか元気にやっているよ)
今はまだ空元気なだけかもしれない。まだまだ、泣きたくなるような時間を過ごすことになるかもしれない。それとは別に、あの男の行動には頭が痛くて泣きたくなるが……。
「また来るよ」
だが、次に来るときはもう少し笑顔でいようと彼女は思った。