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62. 嘘

神託 6 のあたり

聖域にて長い間使われていなかった工房に入ると、シオンは灯を点けた。
既に女神は少女たちとともに日本へ向かっている。
(明日までに間に合わせねば……)
今の彼は教皇服をまとってはいない。 一人の匠として、これから行う作業の準備をしていた。

シオンは椅子に座ると、紙に色々な図形を描き始める。
しかし、すぐに動きが止まってしまった。
(いったいどうすれば恩に報いることが出来るのだろうか)
それでも相手は自分たちの礼など望んでいない。 それも分かり過ぎるくらい分かっていた。

事の起こりは、ほんの少し前の出来事だった。
いくつかの騒ぎはあれど、なんとか女神アテナや美穂たちを日本へ返す準備は整った。 その連絡もかねて、シオンは直々に美穂と話をしたのだが……。
『ミホに怪我をさせてしまって申し訳なかった』
開口一番にシオンは謝罪をする。 状況的に致し方ないと言えるかもしれないが、それでも謝らずにはいられなかった。 美穂を守りこそすれ、怪我をさせるなどあってはならないことだからだ。
すると彼女は困った様な笑みを浮かべた。
『怪我なんてしていませんよ。木の葉がぶつかったくらいです』
『しかし、怖い思いをさせてしまった』
まさか宴の帰り道でバビロニアの魔獣と戦闘になるとは、さすがのシオンにもこの事態は予測の範疇を超えていた。
だが、言い訳は出来ない。巻き込んだのはこちらなのだから。
そんな彼の様子を察したのか、美穂が不安げに尋ねる。
『私は平気です。それよりもシオンさんのほうは大丈夫ですか?』
『大丈夫とは?』
『だって、沙織さんも怖い目にあったんですよ。後からグラード財団の人たちから何か言われるんじゃないですか』
『……』
『もし、シオンさんが財団の人に怒られたりしたら……。役に立たなくてごめんなさい』
何故、美穂が自分に謝るのか。わずかな時間、彼は悩んだ。
そして気がつく。彼女は教皇である自分の立場が悪くならないように、女神を守ってくれたのだ。
何しろ城戸沙織は聖域に呼ばれた少女ということになっている。無事に返さねば、確かにグラード財団が聖域に文句を言うのはありえる話だろう。 実際にそのようなことは無いはずだが。
シオンは少女の判断と勇気に敬服せざるを得なかった。

(こちらはミホに嘘をついたというのに……)
だからといって本当のことは言えないが、彼女に感謝しているという気持ちは伝えたい。
そこでシオンは自分の手で美穂への贈り物を作ることにした。
言葉は不誠実だったかもしれないが、己の技術ならば嘘はつかない。 そう信じて彼は工房へやって来たのである。
本来ならばジャミールの方が道具や材料など揃っているのだが、あいにく今は聖域から離れるわけにはいかなかった。 気を取り直して幾つかデザインを考える。そこへムウと貴鬼が工房に来た。 牡羊座の黄金聖闘士は手に袋を持っている。
「言われたものを持ってきました」
彼はそういいながらシオンに袋を渡す。
「でもこれは……」
「心配するな。これは自然金に微量のオリハルコンを混ぜたものだ。一般人には見分けることなど出来ん」
シオンはすぐさま金属を計り始めた。その様子を貴鬼は真剣な表情で見ている。
(そういう問題ではないのですが……)
自分の師匠は言い出したら聞かない人間である。 ムウはそれ以上何も言わなかった。