INDEX
目次


使命・尊士

○ 尊士

 静かな夜に歌声が聞こえてくる。
 こんな時間には、昔のことを思い出す。

 そう、私がまだ人間であったときのことだ。


 一番鮮やかに思い出すのは、若い頃に大怪我をしたときの出来事。
 あの頃の私は、ホラーを倒すことにのみ関心があった。
 だが、若気の至りからホラー相手に大怪我を負ってしまう。
 視力は奪われ、手足も思うように動けなくなってしまった。
 そして薬と治療に専念するという日々が続いたが、体が元のように戻るという望みは諦めた方が良いと言われていた。
 このとき、初めて私は絶望を身近に感じたのかもしれない。
 しかし、自暴自棄という行為は自尊心が制御してくれた。
 私は少しずつ、出来ることから始める。


 しばらくして、私の耳に歌声が届くようになった。
 見舞いに来てくれた魔戒騎士に尋ねると、彼はこっそりと教えてくれた。

「ジンケイの娘さんが、歌を歌っているんだ」
 
 それは優しい歌声だった。
 心が安らぐ。

「ジンケイの女の歌声は、人を癒す力があるという話もある。誰のために歌っているんだろうな」

 そうか、誰かのために歌っているのか。
 それでも、私は美しい歌声を聞くことが出来たことに感謝した。

 また、翌日、どこからか歌声が聞こえてきた。
 気になって体を起こそうとすると、昨日よりは動ける。正直言って、驚いた。

 そういう日が何度も続くようになると、私の体はかなり動くようになっていた。
 視力に関しては焦ると元も子もなくなるので、大事を取れと言われている。
 ただ、どうしても歌声の主に会いたくて、私は部屋を出て歌声の聞こえる方向に歩きだした。
 何度か、周りのものにぶつかる。
 しかし、歌声がハッキリ聞こえてくる喜びに比べれば、大したことではない。

 そのうち、歌声が急に止まった。
 近くの茂みが動く。
「怪しいものではありません。逃げないでください」
 後で思えば、顔や体に包帯を巻いた男の何処が怪しくないというのだ。
 しかし、私はとにかく歌声の主と話をしたかった。
「歌を歌っているのは、貴女ですか?」
 しばらくして相手は小さな声で「そうです」と返事をしてくれた。
「貴女の歌声のおかげで、私はここまで回復できました」
 とにかく感謝の意を示す。
 すると草を踏む音が聞こえた。
「私の歌で、回復したのですか?」
 彼女の声が急に大きく聞こえて、私は驚いてしまった。
「そうです。貴女の歌は私に力を与えてくれました」
 手に暖かいものが触れる。
「よかった。私、役に立ったのですね」
 このとき、何処からか優しい花の香りがした。
 そして彼女は私に「ありがとうございます」と言って、立ち去ってしまう。 


 何がなんだか分からなかったが、しばらくして私の怪我が回復したとき、知り合いが世間話のような雰囲気でジンケイの話をしてくれた。

「今、ジンケイにはすごい歌姫がいるそうだ。だけど大切すぎて外に出せない。だから他の女性が外の仕事をすることになるのだが、どの歌姫もイマイチらしい」
 失礼な話だと思いつつ、だから彼女は私の言葉に礼を言ったのだろうか?と考える。
 あの美しい歌声を、イマイチと評価する人間の耳が変なのではなかろうか。
 私にとって、彼女こそ最高の歌姫だ。

 そして同じ頃、元老院の方では牙狼の鎧に光を取り戻す計画があったのだが、実際にその材料となるゼドムの塚に行くのは先延ばしとなった。
 問題のゼドムのプラントを得るために必要な歌姫が、まだ若かったのだ。ということで、彼女たちの誰かが子を成してからということが決定される。
 ゼドムの塚に近づくのは危険が伴うため、貴重なジンケイの女を無闇に使って減らすわけにはいかないというのが、元老院側の言い分だった。
 このとき、私は彼女のことを思い出す。
 この計画に彼女も関わるのだろうか?


 時は流れて、いよいよゼドムからプラントを得る計画が実行される。
 歌姫は二人。そして補佐に魔戒法師の男が二人付く。
 私はこの計画の護衛に選ばれた。
 あのときの彼女は?
 そんなことを考えたが、私は彼女の顔を知らない。

 そしてゼドムからプラントを得る儀式は始まったが、途中で一人の人間の乱入により、事態は最悪の結末を迎えた。


 瞼を閉じて聞き入っていた歌声が止まる。
 目を開けると、そこには幻のように彼女が立っていた。
『尊士さま……』
「沙莉か」
 目の前にいるのは、魔導ホラーとなった私の一番最初の犠牲者。
 彼女の魂を食べたとき、あの優しい花の香りがした。
 そう、彼女はあのとき私を救ってくれた歌姫だったのだ。

『尊士さま……、貴方を助けられなくて、ごめんなさい』
 沙莉は私に触れようとするが、その手は私の体をすり抜けてしまう。
「……貴女が苦しむ事はない。これは、私の罪なのだ」
 魔導ホラーとなる前に、自分を滅ぼす行為を試せばよかった。
 しかし、私にはそれが出来なかった。
 最後の最後で、私は魔戒騎士としてすべきことをやらなかったのだ。
「もうすぐ夜が明ける。貴女の歌声でしばらく意識を回復出来たが、またすぐにゼドムに支配されるだろう」 
 今の私は金城滔星の操り人形という立場だが、それは私の中のゼドムがそう命じているからだ。

──今ハ、ソノ人間ノ欲ニ従エ。

 私が大人しくしているうちは、ゼドムも金城滔星も、それ以上の締め付けは行わない。
 ならば、罪をいくつ重ねることになっても、沙莉の望みは叶える。
 牙狼の鎧に黄金を取り戻すことと、沙莉の親友の子、道外流牙をその鎧に相応しい存在にすること。
『尊士さま。また、会ってくれますか?』
「私が貴女の望みを断ったことがありますか?」
 もうすぐ、意識が途切れる。
 彼女の姿が、朝日にとけ込むように消える。


 道外流牙、早くここまで駆け上がれ。
 ボルシティの人間を、世界を守りたいのなら。

――牙狼の称号を名実共に得る。

 それがお前の使命だ。

 〜終〜