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鋼牙オオカミとカオル兎U その1

○ 謎の婚約者

 その噂を鋼牙が知ったときは、既にほぼ全ての関係者が知っているという状態だったらしい。

――冴島鋼牙には、昔、親の決めた婚約者がいた。

 根も葉もなさ過ぎて、零などは自分の事とゴチャゴチャになっているのかと首をひねったが、レオが調べたところによるとどうも話はかなり古いもののようだった。
 三人は今、鋼牙が仮住まいにしている北の管轄のホテルがにいる。
 ただし、ホテル内の貴賓室ではなく、地所の一角にある『離れ』とも言うべき特別室の方だが。
 執事のゴンザは引っ越しの日が近づいているので色々と手続きなどのために忙しく動いており、今は不在。零とレオも本来は仕事の打ち合わせのためにやって来たのである。
 そしてその打ち合わせ自体はアッサリ終わったのだが、ホテル側が特製ケーキとティーセットを持ってきた。
 零は勝手知ったる他人の道具とばかりに、この微妙に彼だけが得をしているお茶会を仕切っていた。

「婚約者などいない」
 鋼牙としては、そのような噂がカオルの耳に入る方が由々しき問題だった。
『本当かぁ?』
 魔導輪ザルバが疑わしげに発言をする。
「当たり前だ」
 そんなことを決めるような先代ではないし、本当にいれば執事のゴンザはカオルの存在をよしとはしなかったはず。
 この反論に零もレオも納得した。
「ゴンザさんなら、必ず言いますよね」
「ということは、やっぱりただの噂かぁ」
 迷惑な噂だ! と鋼牙が眉間の皺を深くしたとき、零が呟くように言う。
「まぁ、あの大河さんだったら、小細工なしで女の子を鋼牙に紹介するよな。お前の婚約者だって」
「そうなんですか?」
 レオは冴島大河を知らないので、サバックの優勝により会ったことがあるという零の話に興味があった。
 鋼牙は何も言わない。
「そして陰日向なく、その女の子の成長を見守ったと思うよ。もしかすると親が仕事とかで娘に構えないときは、預かるという約束くらいはしそうだし……」
 それこそ息子の嫁になる娘なら、全力で守りそうな気がしないこともないと零は笑う。
 このとき鋼牙の脳裏に、幼い頃のカオルの姿が蘇る。
 そのため彼は零の言葉を「妄想だ」と言い捨てるタイミングを失っていた。