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後日談 海界編

穏やかな光の降り注ぐ海底神殿の中庭に、一人の海将軍が慌ただしくやってきた。
「まかれた!」
バイアンの第一声に、カノンは溜息をつく。
「クラーケンが何処へ行こうが、構わないだろう」
呆れ返っている筆頭将軍の手には、青い宝石の付いた首飾りが輝いていた。
この首飾りは神殿の奥にしまい込んでも、いつの間にか中庭に戻ってしまうのだ。
これが何度も続くと、さすがに中庭で管理をした方がマシと判断されたのである。
誰がやっているのか見当は付くが、いまさら問うても誤魔化されるだろう。
結局、海闘士たちが首飾りの為に、この場所を整備していたところだった。

そこへイオがやって来る。
「スキュラ、どうだった!」
「駄目だ。逃げられた」
謎の多い、クラーケンの海将軍の行動。
この追跡劇には、リュムナデスの海将軍まで参加していた。
しかし海将軍たちが追跡できなかったというので、海底神殿では彼の行く先について色々な者が飛び交うこととなる。
「テティスは聞き出せないか?」
クリシュナの問いに、テティスは首を横に振った。
「この間のことで、警戒されてしまいました」
結局、男の闘士達は誰一人として、アイザックの苦労を理解してあげられなかったのである。
それでもアイザックの部下達だけは、微妙な意味で上司の受難を労ってくれたのだった。


一方、噂の海将軍は東シベリアのコホーテク村を訪れていた。
この日は天気が良かったので、村の少年がどこかへ出掛けようとしている。
「もしかして、お前がヤコフか?」
アイザックの問いかけに、少年は彼を見た。
そして暫くしてから、
「もしかして、お兄ちゃんがアイザック?」
と、言ったのである。
これに彼も驚いてしまった。
「そうだが、何故俺の名を……?」
すると、ヤコフは嬉しそうに声を上げたのだった。
「やっぱり! 氷河が時々話してくれたんだ。
すごい兄弟子が自分には居るって。
あっ、でも、今は家には氷河もカミュさんも居ないんだよ」
過去形ではなく現在形で、氷河は村の少年に自分のことを話していた。
アイザックは何か懐かしい気持ちになる。
「いや、氷河には先日会った。
今日、俺がここに来たのは、お前にこれを渡すためだ」
彼はコートの右ポケットから、一通の葉書を出す。
海原を走る帆船の絵葉書だった。
その隅に、氷河の字で『近々帰る』とだけ書かれている。
「これを届けにきてくれたの?」
「……こっちに用事があったから、ついでだ。 気にするな」
そう言ってアイザックが立ち去ろうとすると、ヤコフが彼のコートの裾を掴んだ。
「おい……」
「だったら、また帰る前に寄ってよ」
彼は、よもや引き留められるとは思っていなかった。
どうしようかと考えた後、
「今日中は無理だから、明日でいいか?」
と、答える。
その返事に、ヤコフはようやく手を離したのだった。


しかし、クラーケンの海将軍としては、次の用事こそ最大の難問だったのである。
村を離れた彼は、ブルーグラード領の手前まで移動する。
コートの左ポケットには別の絵葉書セットがあった。
絵梨衣が日本へ帰る前に、自分を助けてくれたブルーグラードの姫君の為にギリシャで用意したと氷河に言われたものである。

「俺まで行ったら、アレクサーが激昂する。
アイザックからナターシャに渡してくれ」

分かるような分からないような理由を言われ、彼は一人でブルーグラードに赴くことになった。
今回の報告が済んだら、もう二度と彼女には会わない。
それが一番良いのだと、彼は思った。
だが、運命の女神たちが万が一にもナターシャを探しているのなら、自分が無視をしたところで別の闘士に役目が引き継がれるだけである。
あの、清楚な花が何らかの嵐に巻き込まれるのを、自分は見過ごす事が出来るか。
その答えはすぐに出た。

「行くか……」
アイザックは駆け出す。
その表情に迷いは無かった。


〜了〜