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ナターシャは不安げに遺跡の方を振り返った。 アレクサーはそんな妹に声をかける。 「あいつなら大丈夫だ」 しかし、彼女は納得しかねるようだった。 「でも兄様。 あの方のように戻ってこなかったら……」 話の見えないアイザックとしては、二人の会話は聞かない方が良いかと考えてしまう。 しかし、ブルーグラードの兄妹が彼の方を見ている。 「何か?」 「……いや、いくらなんでもあり得ない」 アレクサーは既に自己完結していた。 しかし、ナターシャは尚も何か言いたげである。 「無理には聞かないが、何の話をしているんだ?」 アイザックの言葉に彼女は何かを言おうとしたが、それを遮ってアレクサーが答えた。 「昔、ナターシャを助けてくれた男がいるんだ」 その言い方は感謝というよりも忌ま忌ましいと言わんばかりだった。 それは今から7〜8年くらい前の事。 その年の夏、ナターシャは乳母達と薬草を摘みに某所へ出かけていた。 ブルーグラードの夏は短いのだが、その時期にのみ芽を出す薬草があって、ブルーグラードの民はその草を使って薬を作っていたのだ。 しかし、この時は盗掘者たちがこの場所に来ていた。 最初は言い争いだったのだが、ナターシャを避難させようとした乳母の行動を怪しんだ盗掘者たちが二人を人質にしたのである。 そして彼らは二人を車に押し込んでその場から居なくなったのだが……。 「?」 「ブルーグラードの男たちは報告を受けて直ぐ、その現場に向かった。 すると、かなり離れた所に一台だけ車は乗り捨てられていた。 その中にナターシャと乳母はいたのだ」 実際は車両はその一台だけが無事で、他の車はタイヤを全て破壊されていたという。 「……」 「乳母の話によると誰かが車の前に立っていたらしいのだが、残念な事に乳母は恐怖のあまりナターシャを抱きしめて下を向いていたので、何が起こったのか分からなかったそうだ」 だから乳母もナターシャも、自分たちに刃物を突きつけていた男がいつの間にか居なくなっていた事すら気付かなかったという。 次々と聞こえてくる男たちの叫び。 彼女は自分の守るべき姫君の無事を神に祈っていた。 そして、しばらくして車に近づく者が居たが、乳母は顔をあげる事が出来ない。 そんな彼女に、その人物は静かに話しかけた。 『ここに居なさい。もうすぐブルーグラードの人たちが来てくれる』 その声は静かで落ち着いており、彼女は驚いて顔を起こしたが、既にその人物は何処にも見当たらなかった。 それどころか、ならず者達も居なくなっていたのである。 「私は車の中で彼女に抱きしめられていたので、その方の姿を見ていないのです」 その後、ブルーグラードの民は恩人である謎の人物を探したのだが、その行方を掴む事が出来ずにいた。 アレクサーは当時の事を思い出して、はらわたが煮えくり返りそうな思いに駆られる。 あの時ほど自分に闘う力が無いことを悔やんだことは無い。 しかも父親は行方の分からない恩人ばかりを探して、その場から消えたならず者の方は神が裁いてくれるといって、あまり熱心に探そうとしなかったのだ。 ナターシャと乳母が無事だから良かったのかもしれないが、 やはり納得がいかない。 だから力を求めて氷闘士になるんだと、あの時決意した。 そういう意味では、謎の人物は自分にとっても意味のある存在だった。 そしてアイザックは彼らの話を聞いて、不覚にも動揺してしまう。 過去の記憶が、ある事実を提示していたからである。 それは弟弟子である氷河が来る少し前の事。 『アイザック。私はそいつらの目的を確かめに行く』 そう言って、近隣の村々で暴れていたならず者たちを追って行った師カミュ。 その後ろ姿を、彼は今でも覚えている。 (絶対に先生だ……) 多分、師はならず者たちを追跡してブルーグラードに赴き、そこの姫と乳母を助け、速攻でコホーテク村近くの自宅に戻ってきたのだ。 ただ、アイザックは確信はあったが確認が出来ないので、 「凄いのが居るんだな」 と答えるに留めた。 彼の言葉にナターシャは残念そうに俯く。 アレクサーは一瞬だけ表情を変えたが、やはり何も言わなかった。 その時、遺跡が音を立てて崩れ始めた。 |
─ 了 ─
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