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伏兵 その1
学園長代理

 ミノタウロスの迷宮を守っていた青銅の巨人タロスは、古い時代のロボットだという。
 そして今、そのタロスの子孫とも言えるゴーレムたちが聖域の復興作業に従事していた。

 彫刻具座(カエルム)の白銀聖闘士・ミケランジェロの命令で、数体のゴーレムたちが先の戦いで崩壊した黄金宮の重い柱を動かしている。
 そしてその周辺には雑兵と幾人かの聖闘士たちが、やはり建設に携わっていた。
 使えるものは使い、ダメなものは新しい石やレンガに替える。手間のかかる方法だった。
 そんな中、一人の男性が聖域にやってきた。

 ミケランジェロは手を挙げて、ゴーレムたちの動きを止める。
 ちょうど休みの時間だった。人間の方も休憩に入る。

「見事なものだな」
 男は目を細めて、復活しつつあるいくつかの黄金宮をみた。
「お前がここに来るとは珍しいな」
 ミケランジェロは相手を見ずに話しかける。
「学園長がいない今、私が動かなくてはならないからな」
 聖闘士養成の学園であるパライストラの学園長代理は遠くの方を感慨深げに見る。
「ゴーレムたちはまだ、動けるのだな」
「あぁ、意外なことだ」
 ミケランジェロの返事に学園長代理は驚きの表情をする。
「それがお前の実力ではないのか?」
 しかし、ミケランジェロは彼の言葉を否定するかのように首を横に振る。
「今の段階なら実力と言えるだろうが、少しずつアプスの影響が少なくなっている。私の能力も使いものにならなくなるだろう」
「……」
「そうなれば、お払い箱だ」
 この13年という間、闇の神のもたらした影響は絶大で、聖闘士たちの能力に属性というものが発生した。
 それにより戦闘の仕方が劇的に変わったが、闇の神アプスが倒された今、その性質は少しずつ聖闘士たちの中から消えようとしている。

「我らの女神は魔法などとは縁遠い方だからな」
 女神自身が何らかの術を使えたところで、聖闘士たちにも同じように使わせることが出来るわけではない。
 女神アテナは技術を司っても魔術には関わってはいないのだ。
「まぁ、こちらとしては、それまでは小宇宙の使い方が上手くいかなかった方のだから、ゴーレムたちを作ることが出来て満足だ」
 たぶん、ミケランジェロの能力は女神アテナの下ではなく別の存在の影響下の方が恐ろしい効果を発揮するのかもしれない。
 学園長代理はそんなことを考えた。
「お前とは逆だ」
 すると学園長代理は腕を組み、苦悩するかのような仕草をわざとらしくする。 「軍神マルスが地上に影響を持ち始めたとき、私は小宇宙の発動が上手くいかなかった。これから先、女神アテナのもとでは力を発揮できない生徒たちが出るだろう」
 だからといって遠くない未来、再び何らかの邪神がこの地上に現れたとき、女神アテナの影響下でしか戦えない聖闘士しかいないというのは非常に危険な事態である。
 先のハーデス率いる冥闘士たちの闘いでは、冥界に赴いた黄金聖闘士達がその力を十分に発揮できなかったという話が伝わっていた。
 地上をギリギリのところで守れても、邪神を倒せないということはあってはならないのだ。
「……」
 ミケランジェロは、古い友人が何を言いたいのかと訝しげな顔をする。
「ミケランジェロ、パライストラの非常勤講師をやってくれないか?」
 彼にとって意外な言葉。
「断る」
 ゆえに即答だった。
「私は人に教えるなど出来ない」
 しかし、学園長代理はその返事を予測済みらしい。
 がっかりしてなどいなかった。
 
「今、生徒たちは混乱している。世界が変化したからだ」
「……」
「変わらないと思い続けていたものが変わる。大人でも不安定になるのだ。子供にしっかりしろというのはむごい話だと思わないか」
 学園長代理はミケランジェロの肩を叩いた。
「最初から承諾されるとは思ってはいない。ただ、世界は変わって当然という人間が学園内にいてもいいと思う」 
 また来るといって学園長代理は去っていった。 


「世界は変わって当然……か」
 ミケランジェロはゴーレムたちに目をやる。
 不肖の聖闘士とも言っていい自分を励まし修行を手伝ってくれた友人ダイダロス。
 彼が聖域の内乱で殺されたとき、自分の世界は激変したといっても良かった。
 それは学園長代理も同じだろう。
 あの一件で、自分たちがダイダロスの友人であることをひた隠しにしなくてはならなかった。
 連座で殺されかねなかったから。
 聖域に君臨していた偽の教皇は、容赦なく彼とその弟子たちを死に至らしめたのだ。
 だから大教皇などになったマルスも魔女メディアの策謀も、予想の範囲内だった。
 命令を遂行したところで、後に無実の罪で処刑されるのなら、己の信念に従った方がましだ。
 
「教えるのは柄ではないが……」

 今度、パライストラで彼の仕事ぶりを見てみよう。  ダイダロスとは細かい事で気の合っていた彼なら、知識を女神アテナ以外に使う気のなかったイオニア学園長よりは生徒を導けるかもしれない。

 少しずつ感じる力の消滅を彼は初めて惜しいと思い、生徒の中に土属性の力を残すものはいないかと考えた。
 いたらゴーレム達の力を破壊ではなく創造に使えるのだ。
 それは素晴らしいことではないか。

 彼は小さく笑った。


 同じ頃、聖闘士養成の学園パライストラの保健室で騒ぎが起きていた。

「ずいぶん賑やかだけど、どうしたの?」
 鶴座の小町がカジキ座のスピアに尋ねる。
「飛び魚座のアルゴが騒いでいるんだ」
「なんで?」
 彼女と一緒にいたウサギ座のアルネも話に加わる。
「アイツ、学園長代理に喧嘩を売ってコテンパンに伸されたんだよ」
 スピアの言葉にアルネは首を傾げる。あの、穏やかそうな学園長代理が??
「属性を失った生徒なんか使い物にならないと思っているんだろってアイツが騒ぐから、最初は学園長代理も落ち着かせようとしていたんだ」
「それで?」
「それで暴言が光牙たちに及んだんだ、あいつら以外は要らないんだろ……って」
 ところがその発言が飛び出た途端、アルゴは学園長代理に急に胸ぐらを掴まれて地面に身体を押さえつけられたのである。
 その素早い動きは、見ていた生徒たちもいつのまにそうなったのか分からなかったくらいだという。

 そして穏やかだと思われていた学園長代理が、いつになく厳しい声でアルゴに対して怒鳴った。

「今回は彼らに運命が過酷な試練を与えた。だが、次に現れた邪悪な者たちは、もしかすると君をターゲットにするかもしれない、君の大事な者を君から奪おうとするかもしれない。そのとき、その人たちが苦しんだり死んでゆくのを黙って見ているつもりか! 小宇宙に付随した属性は手段だ。知恵と体力と精神力が勝敗を大きく左右する。君たちにはまだ、正義のために闘う力がある」

 しかし、アルゴはなおも暴れる。
 学園長代理は情けをかけたのだが、結局はアルゴ相手に何度かの攻防に付き合った後、大人しくさせたのだった。
 ちなみに彼の拳は一度も学園長代理に当たらなかった。
 そしてこの一喝と闘いは、騒ぎを見ていた生徒たちにも影響を与える。
 生徒たちが自主トレを積極的に始めたのだ。
 そうなると、このエピソードもまた見ていなかった他の生徒たちに伝わる。教師たちも知ることとなる。
 当の学園長代理は聖域に用事があるといって出掛けているのだが……。

「俺もこれから檄先生に模擬戦の相手をしてもらうんだ。あいつらには負けられないからな」

 光牙たちはというと激戦を闘い抜いたのは良いが、闇の力の傍にいたための負荷による精神的疲労と怪我のため入院中だった。