目次

03.音楽

一輝と瞬が聖域にやって来たのは、あらゆる地域でクリスマスが騒がれていた後の某日だった。
「それじゃ、僕はこれからジュネさんと出掛けるから」
来てすぐに、瞬はそう言った。
「えぇっ!」
それに対してジュネ本人が驚きの声を上げる。
しかし、瞬は意に介さなかった。
「エスメラルダさん。兄さんのこと、よろしくね」
彼は何事も既に決まっているかのように、ジュネを引っ張って何処かへ行ってしまう。
その前にはオルフェがユリティースとデートをしに行ってしまったので、エスメラルダは初めて一人で一輝をもてなす事になった。

彼女は少しばかり緊張しながら、お茶を用意したりお菓子を出したりをする。
だが、そんな様子も一輝には夢のように思えた。
「聖域での暮らしはどうだ?」
彼女が落ち着いたころ、彼は聞きたくて仕方の無かった事を尋ねてみる。
日本にいるとき沙織から大まかなことは聞いてはいたが、やはり漠然とした不安は拭えない。
しかし、実際に会ってみると、思ったよりも聖域での暮らしは悪くはなかったようだ。
女神ニュクスの眷属たちを落ち着かせるためにも、エスメラルダにはしばらく聖域で暮らしてほしいと沙織やシオンから言われたときは、正直言って賛成しかねた。
また誰かが彼女を利用しようとしているのではと思えたからだ。
でも、実際には字を覚えたり、女官たちから習い物をしているらしい。
「覚えることがいっぱいあるけど、みなさん親切だから大丈夫よ。 一輝に会いたくなってしかたのない時もあるけど……」
頬を赤く染めて言われたので、一輝は返事が出来なくなってしまう。
離れて暮らしていた少女は、一段と綺麗になっていたのだ。

「エスメラルダ。今日は渡したいものがある」
一輝は持ってきたバッグの中を探しはじめる。
「?」
彼が日本から持ってきたのは、一見すると木の箱だった。
しかし、箱の蓋を開けると美しい調が流れはじめる。
エスメラルダは初めて見るオルゴールに、とても驚いてしまった。
「一輝……」
「音を出す機械は市販品だが、箱は俺が作った。気に入らなかったら返してくれれば良い」
一輝自身、エスメラルダが喜ぶかどうか分からない。
その為、発言が気遣いというよりも逃げ腰気味だった。
彼女は再びオルゴールを見る。
「……あの、すごくドキドキしてしまって、なんて言ったらいいのか分からないの。 これを本当に貰ってもいいの?」
蓋を閉じると、オルゴールは演奏を止めた。
だが、すぐに蓋が開けられ、柔らかな旋律が二人を包む。
「エスメラルダが喜んでくれれば、十分だ」
一輝の言葉に、エスメラルダが席を立つ。
そして彼の背後にまわると嬉しそうに抱きついた。
「ありがとう。一輝」
「いや、礼を言うのは俺の方だ」
もう二度と会えないと思っていた少女と再び出会えたのだ。 それだけでも自分の中でもてあましていた牙が、使い方を得たように思える。
(今度こそ、エスメラルダを守り抜く)
目を伏せた一輝は少女の温もりを感じながら、決意を新たにしたのだった。