目次

02.椅子

「魔鈴さん。椅子を新しくした?」
久しぶりに聖域へ戻った星矢は、師匠の家で真新しい椅子を見つけた。
シンプルで丈夫そうな作りだが、なんとなく聖域の雰囲気には合わない。
どちらかというと日本のキッチンなどで見かけるタイプである。
しかしよく見ると、市販のものとは思えないほどムラのある塗装だった。
「あぁ、それはアイオリアが作ったんだよ」
意外な返事に、星矢は目を丸くしたのだった。

元々は、アイオロスが修行の旅に出たいと言い出したのが発端だった。
本来ならば引き止める理由は無いのだが、長年聖域を不在にしていた人物なので急にいなくなる事に不安をおぼえた者たちがいたのである。
その筆頭が沙織だった。
しかし、アイオロスは外を飛び回る任務を好む性格だったので、じっとしてるわけがない。
どうしたらいいのかと聖域側が悩んだとき、エスメラルダの使っていた椅子の脚にヒビが入るという事件が起こった。

「事件?」
「ただの破損だから別に事件にする必要はないのだけど、双子座が神経質になったんだよ」
師匠の言葉に星矢は納得してしまった。

家具を全部替えるという彼の発言は、たまたま聖域に来ていたカノンによって止められる。
だが、壊れた椅子のリフォームを嬉々としてやり始めたアイオロスに、弟のアイオリアがあることを思い出したのだ。
「そういえば、兄さんは組み立てとか修理を、よくやってた気がする……」
するとアイオロスは椅子を懐かしそうに見ながら答えた。
「小さいころのお前は力加減を間違えて、よく物を壊したからなぁ」
経費を抑えるために覚えた技術だといわれ、アイオリアは顔が赤くなってしまう。
「まぁ、サガのように壊したら木っ端微塵どころか原子粉砕レベルというのに比べたら可愛いものだ」
いきなり引き合いに出されて、サガの背後に暗い小宇宙が現れそうになる。
だが、彼らがいるのはエスメラルダの暮らす家なのだ。
サガが冷静さを取り戻すのも早かった。

「とにかく椅子の応急処置は出来るが、さすがに脚に不安のあるものを使い続けるのは危ないだろう」
このアイオロスの判断に、最後は椅子だけ購入という事で話は付いた。
ところが何を間違えたのか、グラード財団インテリア関連部署は組立式の椅子を数種類寄越したのだ。
しかも椅子だけではなく、他にもテーブルなどの組み立てキットも一緒だった。
これらをエスメラルダ一人で組み立てられるはずもなく、一輝は日本にいる。
オルフェやユリティースが手伝ったとしても時間がかかるのは分かりきっていた。
なによりも量が半端ではない。全てはアイオロスを聖域に引き止めるための策だった。
案の定、射手座の黄金聖闘士は、そのあと数日間は家具の組み立てを楽しんだらしい。
しかし、大量の家具が一軒の家に納まる訳もなく、余ったものは女性聖闘士などの家に引き取られることになる。
このうちの一脚を、アイオリアが自分で組み立ててみたということだった。


「へぇ〜、アイオリアも器用だなぁ」
「私は何だって良いって言ったのだけど、無理やり選ばされたよ」
「……」
器用というよりも、魔鈴に贈るために最大限の丁寧さで組み立てたのかもしれない。
(しかし、沙織さんも無茶をやるなぁ……)
さすがに連続して膨大な数をこなしたアイオロスは気分転換に修行の旅に出てしまったが、椅子を贈られた女官たちから名残惜しそうに見送られたという。
「なんだ。アイオロスは居ないのかぁ」
「明日には戻ってくるらしいよ」
「本当!」
「グラード財団が技術の粋を集めて複雑な組み立てキットを開発したとかで、それが昨日届いたんだよ」
既に何か目的がズレているような気がするが、沙織にとってアイオロスとの技術比べは楽しい事なのかもしれない。
(俺もアイオロスに頼んで組み立て技術を習おうかな……)
真新しい椅子を見ながら、星矢はそんなことを考えたのだった。